昨日は三男の水泳の授業があるはずだった。
当然これだけ暑いのだから、できたものと思っていたら
「できなかった!」と!?
「どうしてよ?」と聞いたら
プールの水の入れ替えをしたために水温が22度しかなく、
基準の24度に達していなかったからだそうだ。
今どきは基準がきびしいのか、なんなのかは知らないけど
私たちの頃なら、よっぽどのことがない限り、予定されていた水泳の授業が中止となることはなかった。
記憶にあるのはただ1回。中学時代のこと。
そのとき、クラス全員で「やりたい」と抗議したのでよく覚えている。
もともと私たちの頃よりも水泳の授業も少ないし。
でも、それは最近の傾向なのか、地域差なのかわからない。
家の子の担任はもう定年間近だけど、先日の懇談会で「学校の水泳の授業は泳力をつけるものではない。水難防止のほうが目的」と言っていたから、もしかしてこの地域ではずっとそうだったのかもしれない。
しかし私の田舎でははっきりと違っていた。
あくまでも泳力をつけるほうが目的の授業だった。
だから授業内容も、いきなり泳いで、とにかく泳いで、最後にちょっとだけお楽しみの流れるプールを楽しむという感じだった。
流れるプールといっても、装置があるわけではなく、当然子ども達がプールをぐるぐる泳いで流れをつけて楽しむもの。
いま、子ども達は最初に水慣れのつもりだろうか、流れるプールのように楽しんでからという感じのようだ。
なんか違うんじゃないの?と思うけど。
だって泳力を付けたかったらスイミングスクールに行けって。
行かなきゃ泳げなくてもしょうがないという言い方だった。
そうかぁ?
私のときは3年生のときに25メートルプールが50メートルに造りかえられたのをきっかけに、授業目標が「クラス全員50メートルを泳ぐ」というものになり、全員とまでは行かなかったけれど、大半の子が泳げるようになったもの。
当時、田舎にはスイミングスクールなどなかったので
学校だけでできるようになったのは明らか。
海もない県だし、川も流れが速すぎて危ないのしかないし。
長距離は泳げなくても「泳げない」という子は皆無だった。
何かがおかしいと思いつつ、育った地域とは別の場所なのだから
違いはあっても当然だろうと、妥協している。
≪ 続きを隠す
コメントをどうぞ